「普通」に憧れた私へ ―「かがみの孤城」を読んで―

 勧められてこの本を手にとった。久しぶりの読書。ハードカバーの、童話のように可愛らしく美しい装丁に心を踊らせて表紙を開く。しかし私はすぐに読むのを中断してしまった。これは今の私にとって劇薬だと思った。もがき苦しみながら最後まで読み終えた感想を少しだけここに残しておきたい。

 

 ちなみにこの感想文では小説の内容すべてについて深くは掘り下げず、主に自分の事を話しているので、ネタバレの心配はない。ここで触れなかった多くの登場人物や、最後まで隠されたもうひとつの物語を、まだ知らない人にはぜひ自分の手で知ってほしい。

 

 簡単に言えば、物語の設定は不登校の中学生7人が鏡の中にある城に集められて「願いがひとつだけ叶う鍵」を探すというものだ。それだけ聞けばファンタジーだが、主人公のこころをはじめ、7人の抱える問題はとても生々しく現実味を持って描かれている。

 私は高校の途中からスムーズに学校に行けなくなった。一言でいえばいわゆる「不登校」だった。その理由には身体的な疾患もあったが、結果的にはそのせいで「きちんと学校に行けていない状態」がさらに私の心を蝕んでいき、精神的にも学校へ行くことができなくなる悪循環が生まれたように思う。

 作中でこころがショッピングモールに行こうとするも、外に出ることへの恐怖から近所のコンビニで精一杯、という場面があった。その気持ちが私には痛いほどよく分かる。学生の自分にとって学校こそが世界そのもので、そこに属することのできない私は世界の住人として認められないような気がして。もし外で知り合いの大人や学校の友達と会ってしまったら。「また学校で会えるといいな」なんて言われようものなら。どう返事をすればいいのだろう。なぜ学校に行けないのか、うまく説明なんて出来ないのに。そんなふうに妄想ばかり膨らんで、外ではマスクを付けてうつむき、なるべく人のいない所を選んで歩いた。

 「普通」になりたい。そんな思いがこの物語にも描かれる。もしかしたら多くの人がその願いを持っているのではないだろうか。私は幼い頃から、そして不登校になってからさらに「普通」であることに強く憧れるようになった。説明は省くが少し特殊な家柄に生まれ、厳しい教育を受けながら、どうして自分だけこんな家に生まれたのかと環境を呪った。校門を前に足を止めてしまう自分が情けなくて、だけど家族にも話せずに、時には公衆トイレで時にはクローゼットで息を潜めて何時間も過ごした。皆を裏切っている自分は最低だと思って涙がとまらなかった。こころのように、誰か敵がいるわけではない。学校に行けば自分が求める「普通」がそこにあって、この足さえ動かせば手が届くのだ。それなのに、説明のつかない対人恐怖感に苛まれて体は動かず、ただただ時間が早く過ぎてくれと祈りながら暗い場所で隠れていた。

 「普通」って何なんだろう。いつからか求めていたものは、改めて考えるとすごく曖昧で空虚だ。きちんと社会活動に参加している身近な人のことを漠然と「普通」とカテゴライズしていたけれど、私の周りにはそうであっても家庭環境が複雑だったり自分の特性との向き合い方を模索していたり苦労を抱える人はたくさんいるし、それぞれが違う。毎日起こることすべてが良いことで幸せだ、なんて人は多分いない。私が渇望した「普通」はもしかしたら私が知らぬ間に作り上げた「理想」だったのかもしれない。

 自分の環境ばかり呪ってきたけれど、私はとても幸運なことに出会いに恵まれた。こころが喜多嶋先生に出会い、母親に気持ちを理解してもらえたように、私にも多くの学校や病院の先生が諦めずに寄り添い続けてくれた。家族にも支えられ、時間こそかかったが自分の本音を伝えることが出来た。逆に恵まれすぎているのではないかとも思う。こんなのは私にとって奇跡の連続のようなものだ。だけどある人が、出会いは自分で引き寄せるものだと教えてくれた。こころが喜多嶋先生に出会ったのも、アキを助けたからこその必然だった。ならば今この瞬間も、私が作り上げた今なんだと、胸を張っても良いのだろうか。

 

 最初に、この物語は今の私にとって劇薬だと書いた。私は徐々に学校にも通えるようになってきたけれど、まだ調子にもムラがあるし、当事者であった時期があまりにも最近であるがためにストーリーが胸に刺さりすぎる。自分が作り上げた小さな世界の中で必死にもがく少女たちが、自分に見えて苦しかった。だけど最後まで読んでよかったと思う。自分を投影しながらも物語を客観的に見ることで、たくさんの気づきと温もりを得ることが出来た。 

 「突然現れた転校生。自分は知らないのに、転校生はなぜが自分のことを知っている」

 そんな結末やっぱりファンタジーだな。一瞬そう思ったけど、いや、もしかすると。私達の生活は、記憶にないことも含めてたくさんの奇跡の連続で形作られているのかもしれない。だからもう少し毎日に潜む奇跡を信じてみたい。一生かけても見渡せないほど世界は広いし、敵もいるけど味方もたくさんいる。それに気づいたらどこへだって行ける。

 「普通」なんてどこにもなくて、きっと誰もが「特別」な人生を送っている。