読書感想文

 「読書感想文を書く意味」という話題が、少し前にSNS上で流れてきた。夏休みに大抵強制的に書かされる読書感想文。私は苦痛でこそなかったが、特に好きでもなかった。多くの人があの宿題を嫌っていたし、実際私も中学を卒業して課題に含まれなくなってから一度も書いていない。文章力や想像力を養うため? 読書習慣をつけるため? どれも間違ってはいない気がする。だけど私は、もうひとつ「読書感想文を書く意味」を見つけた。

 

 久しぶりに読書感想文を書いてみないか。そんな提案を受けて、最初は面食らった。しかし読書感想文を書かなくなってから本自体もほとんど読まなくなっていたことに気づいて、そろそろ本は読みたいかも、と思った。物は試し。書いてみようとは決めたものの、読書感想文ってどうやって書いてたっけ。久しぶりすぎて分からなくなった私は、実家に眠っていた中学3年間分の読書感想文を引っ張り出してみた。

 中学時代、読書感想文は多分必修課題だった。昔から読書好きだった私は多少の評価を受け、1年のときは県のコンクールまで進ませてもらった記憶がある。当時はそうして認められたことが嬉しかった。

 けれどその文章を数年ぶりに読み返して驚愕した。なんだこれは。文章力とかそういう話ではない。その文章の口ぶりは、達観した自分に酔ってただ強く主張を振りかざし、まるで自分の考えが正しいことを確信しきった自己満足の塊。なんだこれ。本当に気持ちが悪い。自分が書いた文章なのに、今読むと信じられないほど過去の自分に共感できない。

 そのとき初めて、人の思想は日々移り変わるものだと実感した。だから読書感想文を保管しておいて、読み返すことができて、良かったと思う。

 読書感想文を書くことは、ひとつの本の内容について自分の考えを書き残す行為である。変わり続ける自分を、客観的に振り返ることは想像以上に難しい。その方法の一つとして、本の内容というある意味ランダムなテーマに対する感想を書き残し、振り返っていくことは、自らの価値観やものの考え方を再認識するいい機会になるのではないだろうか。

 

 そんなわけで、8年ぶりに読書感想文と向き合ってみた。